駐車場警備員の詩(うた)

警備に関する雑詠です。たまに普通の記事を書きます。

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振り込みの明細いずこ残暑かな

小社の決算申請日は8月末日です。
31日までに作成し税務署に提出しなければなりません。
まるで子どもの夏休みの宿題のようです。


本日は交通費と外注費の集計をしました。
銀行の入出金の取扱いは30年前の創業から女房に頼んでいます。
最近はそれが雑になっています。


銀行振り込みをした、外注費や購入費の支払い明細がありません。
会社名義の通帳から送金しますと、振り込み手数料が高いと言って別の金融機関を使っています。
それはそれでいいのですが、請求書や振り込み票などの明細を無くしています。


個人バイトで依頼した2人の外注費が約50万円あります。
このままですと脱税になります。
個人名義の領収書をパソコンで作って印鑑を押しました。
印鑑は何年か前に100円で買っています。
女房を使わずに私一人でやった方がいいようです。
が、女房は私に隠れて会社費用を娘などに使っているようです。

思い出のグルメやリーマン時代(3)

北九州から大阪に出張したら打ち上げは「美々卯」でした。
うどんすきの店です。
今ネットで検索しましたら、相当数のチェーン店になっていました。
昭和50年代は本店だけだったと思います。
ホテルからタクシーに分乗して大勢で行きました。
今では記憶が薄れました。
どのホテルに誰と宿泊し、どの企業に入って、どんな仕事をしたのかすっかり忘れています。

中型バスに電子計算機一式を搭載してそれを現場に持ち込んでいました。
IBMやYPの小型計算機を使って設備診断をしていました。日本初の仕事でした。
パソコンが出来る前です。


私は派遣で現場作業員兼プログラマーでした。
出張現場でプログラム修正作業もしました。
師匠の10歳上の2人の大卒プログラマーがいました。専任ですが怠け者でした、
技量はとっくに抜き去っていました。


製鉄所の設備診断開発グループでした。
そこには3人のプログラマーと1人のシステムエンジニア(SE)がいました。
京大出のSEは高卒の私を重用していました。

思い出のグルメやリーマン時代(2)

20代の頃に横浜に出張しました。
横浜市中区の中華街に近いビジネスホテルでした。


「サテライトホテル」と言って阪神タイガースの定宿ホテルでした。
夜遅くまで路上で選手が素振りをしていました。
パ・リーグのライオンズファンだったので誰もわかりません。


仕事の打ち上げで中華街で中華をごちそうになりました。
そこが聘珍楼(へいちんろう)でした。日本最古の中華料理店ということです。


コース料理をいただき、フカヒレや北京ダックなど始めて食しました。


ネットでどんな料理だったか検索しますと、聘珍楼は最近閉店していました、
コロナ禍で客足が遠くなったようです。
横浜出張の度に3度ですが通いました。
もう一度行きたいお店でした。