当時の職場にはコンピューターソフトの担当者が4人おり、そのうち2人は電気部門との兼務でした。私が派遣入社して担当者は5人になりましたが、私自身も雑用係との兼務で、右も左も分からない状態でした。
それでも英文マニュアルを必死に読み込み、生まれて初めて「本気で勉強する」という経験をしていました。
私は母子家庭で育ち、中学を卒業したら職人になるつもりでした。周囲の大人たちからも「勉強せんでいいから身体を鍛えろ」と言われていたほどです。
中学時代は部活に励み、空手や将棋道場にも通っていました。授業中は、前の授業の宿題をこっそり片付けるような生徒でした。
そんな私に、中学3年の12月、担任の先生が「奨学金を受けて高校に行かないか」と声をかけてくれました。高校進学は諦めていましたが、その言葉のおかげで進学することができました。
職場の主担当の二人は、毎月何日か徹夜をしていました。お二人は昭和18年生まれの32歳で、私より10歳年上です。
私に引き継ぎをして帰宅されるのですが、残された課題はたいした内容ではありません。なぜ徹夜までして処理できなかったのか、当時の私には理解できませんでした。今思えば「残業代稼ぎ」だったのだと思います。
掛長からその件について尋ねられたとき、私は「難しかったです」とだけ答えました。空気を読んで、本音を口にすることはありませんでした。
私はエンジニアです。
工学的な専門知識や技術を持ちコンピュータ関連の「システムエンジニア」が本業です。
今はパソコンソフトを開発していますが「不思議なこと」も起こります。
それをテーマにして小説を書きたいと思って幾星霜ですw
今日もプログラム改造をしてテニス練習を休みました。
明後日に宮崎日帰り出張の予定です。改造ソフトの納品です。
あるファイルを修正して保存するのですがテストするとなぜか修正できていないのです。
ファイル読み込みエラーがでます。
「あれ?」
何度しても確認してもエラーの後にみると修正できていません。
そういえば昔を思い出しました。
師匠である先輩プログラマーは修正後に「うまく動きますように」と
コンピューターに向かって手を合わせお辞儀していました。
50年前の21歳まで現場で働く高卒作業員でした。
雑用係として某大企業開発センターの作業員として派遣されました。
コンピューターの操作員としてオペレータやキーパンチャーなどの単純作業をしていました。
先輩の作ったプログラムの操作をします。
ある日「使いにくいのでこう変更できませんか」と提案したことがありました。
そうしたら「お前が作り直してみろ」と言われプログラムの勉強を始めました。
当時のコンピューターはIBMやHPなど米国製でした。
東芝や日立のコンピューターもありましたが後発メーカーで性能が劣っていました。
米国製ですから取説は英文です。まだ和訳マニュアルはなく英文でした。
工業高校卒の私には意味がわかりません。先輩の皆さんは分かっていたようです。
「テクニカルターム」ですから大きな英和辞書でないと翻訳できません。
市立図書館に勉強に行くことにしました。
(時間切れで明日に続く)